世界中の政府や企業が地球温暖化問題に取り組む一方、一般の人々は温室効果ガスの放出による公共資産への悪影響に対しやや無頓着であるように思えます。この問題は、他の人が自分よりも多少重い責任を担っているからと言って自分の責任が軽くなるわけではなく、誰もが悪影響を受ける、と言えば分かりやすいかもしれません。しかし逆に誰かが問題を改善しようと努力をすればその恩恵を誰もが受けることができます。ですから国家も人々も環境保護問題に対する責任と義務から逃れることはできません。世界に地球はたった一つしかないのです。そしてその上で65億の人間と動植物が生活共同体として生存のために相互に依存しながら同じ地球環境のもと共存しているのです。人類と動物は別々に生きていくことはできません。この地球村での相互協力を推し進めることによってのみ環境保護活動はその効力を発揮することができるのです。

私たちが現在暮らす環境は、製造業や食肉加工業の排出汚水による水質汚染、発電や焼却処理に関わる産業や自動車産業の排気ガスによる大気汚染、使用済み電池、メッキ、金属加工など重金属汚染に代表される土壌汚染など、さまざまな汚染にさらされています。さらに言えば、私たちが日々口にする飲食物も汚染から免れているわけではありません。野菜や果物など過度の残留農薬を含んだ農作物、抗生物質やホルモン剤を不適切に投与された豚、鶏、鴨、牛、羊などの食肉がその例です。これら生活上のさまざまな重要要素が脅威にさらされている中、環境を犠牲にしてまで文明と発展を維持すべきなのか、汚染された有毒環境資源を未来の世代に残すべきなのか、生活と生存の根本的あり方について私たち人類は真剣に考えるべきではないでしょうか。これらの問題を前にしても環境保護に対して私たちが何の反省もしないならば、人類に対する母なる自然のすさまじい怒りは避けられないものになるでしょう。

環境保護は個人、企業、政府間の相互協力を通して推進されるべきです。なぜなら個人がその責任を省みなかったり、企業にモラルや意識が欠けていたり、政府に十分な公権力がなかったりする場合、私たちの環境が受けるダメージは計り知れないからです。「汚染者負担原則」や「受益者負担原則」は誰もが知るところではありますが、政府や市民団体によるさまざまな環境保護政策の規定や推進において、利益と公権力の間のジレンマに悩まされることはしばしばあります。

実際、各国政府は教育の現場から環境保護活動を実行したり、一般の人々のボランティアによる参加を推奨したり、汚染防止の基本的常識に関する指導を行ったり、汚染に対するさまざまな罰金や罰則を設けたり、一般の人々が環境保護活動に参加できるよう国営の環境保護銀行を設立したり、監督責任や公権力の行使といった側面から政府はその役割を果たしています。国家の環境政策を国民全体の運動とし、「公平および相互利益」という原則に基づくことにより、政府は一企業や一個人が引き起こした汚染に対する代価を国民から得た税金でまかなわなくても済むようになるでしょう。過去の誤った政策により政府、企業、個人の間に信頼関係が欠如しているかもしれません。しかし私たちがこれまで犯した過誤や経験から得た教訓を受け入れるならば、その問題の解決は決して難しくはないでしょう。このような取り組みを通し、環境保護は未来の「夢物語」ではなくなっていくと思われます。

環境保護における政府の政策は人々の健康や幸福に直接影響します。国家の競争力を測る際、政府はこれまで景気指標を最優先とし、GDPやGNPといった成長率を採用してきました。この経済一辺倒の競争主義は国家の経済的繁栄および成長をもたらしはしましたが、それにともない深刻な環境汚染問題も引き起こしました。環境汚染は人々の健康を身体的、精神的に阻害し、不幸な生活ゆえの自殺者や犯罪率の上昇など、さまざまな社会問題が浮き彫りになりました。この憂うべき社会現象を改善すべく政府が行ったことと言えば、問題解決に向け人材、物的資源、予算をさらに投入することぐらいでした。この悪循環の根本原因は、環境保護に関わる公権力について政府や国民が無関心であるということです。今後、国家の競争力開発戦略を策定する際、各国政府は「環境保護成長指標」や「グリーンGDP」を優先的に採用することになるかもしれません。それは人々の健康、そして幸福が国家の競争力における原動力であって、環境を保護し資源を大切にすることはあらゆる人々が受けるべき恩恵だからなのです。